「父とお酒」 世の中でもお酒好きで通っておりました様に私共子供といたしましても父とお酒を離して考える事は出来ません。一、二合の晩酌に陶然となり下手な詩を吟じ、調子外れの歌を唄った上機嫌の時の事から、時々大脱線をして二日酔いの渋い顔で引篭もり、子供達迄足音を忍ばせて歩いた折の事迄、お酒に関係しての父の憶い出は数限りなく、今でも私共寄りますと種々話のたねはつきません。日頃の無口がお酒を飲み出すと上機嫌で話すようになり、飲み過ごすといろいろの失敗を演じお酒飲みとしての欠点も長所も遺憾なく備えて余す所が無かった様に思います。
「父と信仰」 程度こそあれ、化学者として生活して居られる方は一般的に宗教の価値を低く見て居られるのではないでしょうか、この点父は私共にこう教えてくれて居りました。即ち「宗教と人間と何方が先かと云えばそれは人間が先である。人間あっての宗教であるが、宗教の持つ内容は無限であって科学の及ばない境地であり、人間はそれに依って救われて行かねばならぬ」と。祖母が熱心な真宗の信者でしたので父も何かとその方面に心を向け、また色々お世話も致したようで御座いましたが、強ち<アナガチ>祖母に対する孝心ばかりでは無かったと思います。経文等もよく知って居りました。私共に対しましては強要も制限も致しませんでした。
「父と私達」 父は表面、子煩悩と云う方ではありませんでした。むしろ子供を煩がって居る時の方が多う御座いましたがそれは始終何かしら考えて居る風でありましたので子供達の騒ぎは思考の邪魔になったからでありましょう。しかし一杯機嫌に寛いだ時は私達と面白く遊び又いろいろのお話を聞かせてくれました。その時の話は天文や宇宙、地球の無限に大なるものから微生物の如き無限に小なるものの話等、私達の興味をそそらずには置かない科学的の話なので御座いました。私達が成長致しましてからは自分の子と云う所有的の観念よりむしろ一個の人格として扱ってくれました。弟達の進んだ道にしろ、それに対する父の態度は真実に深い父の愛を感ぜずには居られないもので御座いました。晩年の父は真に好々爺となり私の子供達とも本当に煮炊きをするおままごとをして遊んでくれましたり、動物園に連れて行ってくれたりよき祖父として終始致したので御座いました。私には未だ父亡き事が感じられないので御座います。只一日も病床につかず嘘の様に呆気なく逝った父。他家へ嫁して居ります身にはことに今でも林町へ参れば父が機嫌よく迎えて下さる様に思われてならないので御座います。 |